エー・エイチ・オー
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2010.04.04_23:41
お花見行ってきた!残念なことに斎に急用が入っちゃったからお1人様だったけれど、せっかく初めての有名ドコロ・千鳥ヶ淵だったから軽く見てきたよ♪
ちょうど帝京大学の入学式が行われる日だったから九段下の駅から武道館周辺はもう桜の花びらと張れそうな数の人がいたもんよ。それにちょっと疲れちゃったかなー。
しかもありえん寒さでね。1時間半くらいウロウロしたら指先が真っ白になってうまく動かなくなったから、帰ることにした。帰ることにしてから、所謂名所である、桜を見るべき正しい道に、入っていなかった、ということに気づいたりして。そうか、もう1本奥の道で左折しないと所謂有名な『千鳥ヶ淵』って認識されるゾーンには入れないのだね。新入生に混じって武道館沿いに進んでいってしまったせいで、桜の少ない芝生を歩きながら名所と謳われる理由に疑問を持ってしまっていた1時間半でしたよww散る前に会社帰りにでももう1回行って、今度こそ正解の並木道を歩いて夜桜でも眺めたいものだ。

んで、両手を擦り合わせながら駅に戻る途中でなんとなく視界に入った『昭和館』という戦中・戦後に関する資料の展示をしているビルで開催されていた、昔の版画の特別展示が無料だったから気になってフラ~っと入ってみました。

版画って、どうしても太い線になってきつめの単色の組み合わせしかできないものだと思い込んでたけれど(自分が小学校時代に図工で作った作品みたいな)、実際は違うのね。女性の髪の生え際の産毛も版木を掘り出して作れちゃうし、空の明るさの濃淡も絵の具で上手にグラデーション作って刷れちゃうのね。そういや赤富士も波浦(波裏?)も版画でしたよね。あれで手描きじゃないんですものね……。
私が行った時間帯にちょうど、刷り師による伝統的な技法による刷りの実演が開催されたから最前列に座ってデジカメ最高画質で動画を至近距離で撮りつつ気になり次第質問しつつフリーダムすぎに興奮する中で、いろいろな知識を得ました。
展示室の外に置かれたTVでも版画解説映像が流れていて、さっき刷り師の実演で見た刷りの作業と、その前の彫り師による彫りの作業が簡単に説明されてた。そのVTRは今度は携帯の動画モードでバッチリ納めてみました急激なのめりこみ。

実演刷り観察中の自他の質問とか、VTRの説明とかで、1つの版画が完成するまでに『絵師』『彫り師』『刷り師』が関わっていると言うことを知って、

トンバンSSのネタにして大興奮なんて、してないよ。

絵師がユちョん(アーティスティックといったら彼)で
彫り師がチゃンみン(長時間の力仕事+長時間の神経質なまでの繊細さ維持=彼)で
刷り師がユの(長時間の力仕事+一瞬一瞬の鋭い集中=彼)だな

とか 速攻でキャスティング完成 とか

してないしてない^^^^^^

んで全員がジぇジゅンの事が好きで、
版画の原画絵にジぇジゅンの産毛の一本一本まで大事に描き込んだユちョんに対して、
原画の線を写した山桜の版木を彫りながらチゃンみンが『どれだけの想いでこの絵を描いたのか』と思いを馳せて、
チゃンみンが彫り上げたパーツごとの版木数枚と色見本(各パーツの色は絵師でなく彫り師が決めるとか言ってたような?あ違うかもw要検索w)の気合いっぷりを見たユのが、その版木たちから、色ズレなど勿論無くうなじの紅のぼかしも見事な一枚の美男子像を次々に刷り上げる中で(版画は当時の高速凸版印刷だったそうなので美しさだけでなく何より速さが命だったそうですYO)、ユちョんとチゃンみン2人のジぇジゅンへの想いをひりつくほどに感じながらも、負けないくらい強い想いを絵の具と一緒に和紙にきめ込む……――むはっ!!
こういう、殴り合うんじゃない静かな闘いみたいなのも好きっ(;´д`)ハアハア
よく考えたら相当なムッツリ3人組なんだけどな!

韓国の方を日本文化に無理に組み込むのは申し訳なくて抵抗があるけれど(日本で聞かない名前の響きであることも強烈な違和感だし)、でもこれ久々にキタ!な題材だから、もうちょっと妄想してニマニマしてよ~♪それで現実逃避するんだ。

でも気づいたらジゅンすが出てこないんだよね。彼は…やっぱガス抜き役かな? どうしても張り詰めてしまう3人の。絵師ユちョんの癒し、彫り師チゃンみンのストレス解消、刷り師ユのの気の置けない弱音相手、とかだと嬉しい。で、ジゅンすが普段からジぇジゅンとキャッキャつるんでるから、“ジぇジゅン最新情報”が欲しい職人3名は各々ジゅンすをお菓子で釣っては話を聞き出そうとするのね。お菓子を頬袋に溜め込んでるジゅンすにいつかユちョんが友達以上の想いを持っちゃえば良いさー!私はチョンジェよりもユスが好きなんだー!!!!!

版画の展示のうちいくつかには、当時の解説文もプレートに印刷されて読めるようになってたんだけど、当時のいろんな文章の誇張表現が清清しいまでに誇張しすぎで、ほんと読んでてニヤニヤした。版画作業を題材にしたトンバン小説をもし書くことになったら、ぜひこの誇張表現あふれる雑誌を劇中に登場させたいww職人3人全員眉間に皺寄せそうwww




話全然変わるんだけどさー、なんか、たまに『全ては運命である』って感じる時期があるんだよね。今がその時期なんだけど。運命というか必然というか。
金曜日にけっこう強い花見欲を持っていたにもかかわらず土曜日にお花見に行かなかったのもどこか必然的なもので、日曜日の東方神起スペシャル番組の録画予約を忘れていることにも気づかず慌てて家を飛び出したことも、斎に急用ができて独り花見になったことも、それぞれ何かしらのメッセージを含むもので、外を歩くにはあまりに寒かったことと、独りという勝手放題な状況だったのとで昭和館に入ろうと思い切れて、版画に出会って、知らなかった世界を知って、新しい知識を得た快感に奮えて、しまいには妄想してドキドキしたのも、これまでの自分の選択の積み重ねによって得られたものであるから、つまり全ては必然であったんだ、と思えるんだよね。たとえば時間をひどく無駄にしたことだって、その先の選択パートで参考にすべき過去として活用されるから、よく考えてみたらそれって無駄じゃなくなるんじゃん?なんて風にも、思えてくるのよ。人生っていう個人の歴史は、経験と選択の繰り返しだよね。経験と選択とが記録された1つ1つの数珠が長く長く繋がったものが人生、みたいに思える。時間を無駄にしてしまった~なんていう思い出の数珠にも、昭和館に入ろう~と選択したことの数珠にも、全ての数珠に存在意義があるよね。今も、ブログを書いたという思い出の数珠がまた1つ、私の人生に追加されて、この数珠がまた、小さく大きくこの先の私の人生に影響を及ぼすんだよね。それって、自分で開拓したものなのか運命なのか?すごく判断しかねる。選択を繰り返しているんだから完全なる開拓人生、とも思えるし、でも、こうだった、から、こうなった、ことによって、こういうことに繋がった、っていう流れとして全体を見渡すと、ああ、正に為るべくして為った感じ、つまりやっぱりある程度は運命に沿って歩いているのね~、とも思える。生きていくって不思議だな~。

って、面白みを感じる時期も、現状に飽きっぽいふたご座の私なのできっと今回もあっという間にスピリチュアルブームが去ると思います。『これも運命だわ!』『必然だわ!』って思うといろいろ受け入れられるんだけど、この考え方に新鮮味を感じられなくなるとまたどうしようもないネクライフの再開ですよ。一度違う刺激に一瞬夢中になる期間をはさみ~の、次回の運命ブーム再来待ち~ですよ、ほぼ年中w

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